人生しんどみドミノ倒し

共感されるとめちゃくちゃうれしい ある程度見られてある程度承認欲求が満たされれば良い

人気者になりてぇや

 私は、友達といるとき、いつも主人公ではなかった。いつも主人公は友達だった。

 私の友達には人気者が多い。私の横にいる友達は、他の子達の横にもいた。私と2人で歩いていた友達が、人に囲まれてしまって居場所がなくなることや、私と一緒にいた友達に気付いた私の知らないその友達の友達が、私と一緒にいた友達の名前を呼びながら嬉しそうに駆け寄ってきて、友達を取られてしまうことなんか、しょっちゅうあった。いつでもそうだった。うるさくて賑やかなだけの私が輪の中心になれることなんか、あっても一瞬で、すぐに飽きられてしまった。中学でも、高校でも、私の大好きな友達たちは、人気者だった。 

 自分で言うのもなんだが、小学生の頃の私は人に囲まれていた。人がいつも寄って来た。だから、人気者の辛さもよくわかる。人気者は、大変でつらい。だけど中学生になって、私の1番仲良くなった友達は、圧倒的に人望があった。私の人望なんか、カスだった。私の他の友達はみんなその子の方に集まっていった。途端に輪の中心が変わった。私は外側でポツンと見ていた。今まで私のところにきてくれた友達も、人望のある友達も同時に取られてしまった。小学生の頃の私は人気者で、苦しかったけれど、でも、あんなの贅沢な悩みだったと思った。相手にされない方がよっぽどつらい。私はいつも人気者になりたかった。今だって人気者になりたい。それを言うと、人気者は辛いよって言われたりもするけど、それを承知の上で尚、なりたいのだ。小学生の私は人気者だったけれど毎日家に帰ってきて泣いていたもの。

 友達が人気者だったから、私はいつもその後ろをついていった。一列になるなら、大抵自分から後ろに行くようになったし、1番後ろが落ち着いた。前に出ると不安で不安で、後ろを常にみて友達の姿を確認しないと歩けなかったりする。私は友達が大好きで、特別な存在だと思っているけれど、人気者の友達にとっては私なんか、たくさんたくさんいる友達のうちの1人に過ぎないんだろうなという考えが、いつもどこかにあった。好きな友達に、好かれたかった。友達が私の特別の友達であるように、私も友達にとって特別になりたかった。けれど、無意識に私はいつも、友達よりも自分を下に見ている。対等になりたくて、だけど対等になりたいと思ってる時点で、私は自分で自分が友達よりも下だと思い込んでいる。人気者はもともと先を行くし、私も好かれるために後ろをついていって、"上の人"の言うことは聞くようになって、どんどん他人に従順になっていった。

 好かれたいと言う気持ちが、だんだん恐怖に変わっていった。こいつは別にいなくてもいいと思われてしまったらどうしよう、その他大勢にされてしまうのがこわい、嫌われたらどうしよう。

 結果的に、私は自分の意思を表明することができなくなってしまった。意思を表明できなくなって、私の意思に意味がなくなると、だんだん、その意思さえ薄くなっていってしまった。

 例えば、友達と出かけていて、昼食何を食べようか、という話になったとする。日本人は遠慮しがちだから、多くの人がこういう経験があると思うが、お互い遠慮し合って自分の行きたい店が言えない。自分の行きたいところを言うのは、ワガママのように思えてしまうし、相手が遠慮してしまうのが申し訳ない。だから言えない。このくらいなら、誰にでもある経験だと思う。実際ワガママなくらいな方がすぐに入るところが決まってありがたいことが多い、それを分かっていても言えない。私のはその遠慮が肥大化してしまったものだ。本当に些細なことでさえ決められない。どうしたい?と聞かれると、うーん、とかなんとか言って迷い続けて相手が何か言うのを待ってしまう。些細なことだと、本当にどっちでも良くて、だったら、相手に少しでもこちらがいいとかそう言う意思があるなら、それにしたら1番丸く収まると思ってしまう。それでも相手が決めてくれないと、相手がどちらに行きたいかを想像して、自分のしたいことではなく相手を基準にしてしか考えられなかったり、落ち着いて冷静に考えられずに焦ってしまって自分がしたいものとは違う方をあえて選んでしまったりする。これがいいな、と言う気持ちがあっても相手は違うことを望んでいたら、私に合わせさせてしまうことになるのではないかということがひたすらに恐怖で、意見を述べたり決断をするのは苦痛ですらある。それだけに留まらない。人についていってしまう。喋っていた人が例えばトイレに行こうとすると、何も考えずについていってしまう。一緒のことをしていないと不安になってしまう。ご飯を食べていても、相手の様子を伺ってしまって、相手がお茶を飲むと、無意識に自分も飲んでしまうこともよくあるし、お皿の上に色々なおかずがあったとして、相手を伺いながら無意識に相手が今食べているものと同じものを食べようとしてしまうこともよくある。

 人に追従することをやめたい。意思を持ちたい。自分のしたいことを言えるようになりたい。簡単なことがどうしてもできない。どうしてこんなこともできないんだろう。人に何か聞かれると、なんて答えるのが正解なのか、相手を満足させられるのか、相手が何を求めているのか、相手の予想と違うことを言って嫌われやしないか、私の言ったことが相手を不快にしやしないか、軽蔑されてしまうのではないか考えてしまって答えることが怖い。多分、聞いた側は単なる世間話で、別に求めていることはないし何を言ってもふーん、と思うくらいなんだろう。もともとそこまでの興味もないだろう。全部全部、分かってるのに。自意識過剰なことも分かっているのに。それでもこわいものはこわい。それで答えられなくてどもったり誤魔化したり茶化したり相手に決断を任せてしまったり、そっちの方がよっぽど嫌われるのも分かっていて、それでまた嫌われるのが怖くなる。普通の会話の中でも、自分の思ってることが言えずに何も言葉を発することができなくて、結果的に無視したみたいになってしまうことや、つまらなそうなうっすい反応しか返せないことも多々ある。

 なんでこんなに生きるのに向いてないんだろう。とにかく私は、ちゃんと、自律したいのだ。思ったことを口に出す、やりたいことを言う、そのごく簡単な、生きるのに必要な、人間との関係上必要な行為ができるようになりたい。それだけだ。